第三話:学園生活4日目

「ふふふ……」
 薄暗い部屋の中、限りなく怪しい含み笑いがこだまする。
時刻は昼を少し回った頃。しかし空に立ち込める暗雲のせいで、夜のように暗く、寒い。
「できたわ……ついに完成よ!」
 声に呼応するかのように雷が落ち、あたりに轟音を響かせる。
 声の主はさらに大仰に両手を振り上げ、叫ぶ。
「これで世界は私のものよ!」
 部屋が明るくなる。しかしそれは雷によるものではなく、人工的な光――蛍光灯のものだが。
「なにやってるんですか……アピア部長……」
 部屋の入り口付近にあるスイッチの前に少年が立っている。どうやら彼が電気をつけたようだ。
「……ラスファー……邪魔しないでよ……」
 多少頬を赤らめながら、部長と呼ばれた女性――アピアはあげた両手を下ろす。
「いや……同じ科学部に席を置くものとして、気持ちはわからなくも無いですけど」
苦笑しながらアピアに近づいてくる。
「だったら邪魔しないでくれる」
 完全に機嫌を損ねたらしく、ぷいと横を向く。長く、細い金髪がふわりと舞う。
 掛け値なしの美人というのは彼女のことを指すのであろうか、それ以外の言い方が思い浮かばないほどの美少女。それゆえか、どこか近寄りがたい雰囲気がある。
「もう、怒らないでくださいよ。それより、他の部員は来てないんですか?」
「くるわけ無いじゃない、こんな台風の日に」
 それも彼女の機嫌を悪くしている理由の一つなのだろう、頬を膨らませている。
「っていうより、一番学校から離れているあんたが来たほうが不思議よ」
「そ……そりゃ、部長の言うことは守らないと……」
――どんな人体実験をされるかわかったもんじゃないとはさすがに言えず、心の中で呟く。
「いい心がけね、こなかった奴らは人体実験の道具にしようと思ってたから、命拾いしたわね」
 軽く微笑み――いや、怪しく笑いながらアピアは話す。
「ついさっき完成した薬……はやく明日がこないかなぁ……」
「ぶ……部長……本当になにか作ってたんですね」
「あたりまえじゃない、ノリで叫んでたとでも思った?」
 思った。思ったが、そんなことは口が裂けてもいえない。
 そんなラスファーの心境を知ってかしらずか、アピアはこれ以上追求してはこなかった。

「だからいったろうが!」
 薄暗い廊下に叫び声が木霊する。
「すまんすまん」
「まぁまぁ、兄貴も落ち着いて」
 今にもムサシに噛みつかんばかりに怒っているクトファーを宥めるステフ。三人とも先ほどから滝のように降っている雨のせいでびしょぬれだ。
「ったく、俺は雨が嫌いなんだよ……」
 ステフに止められてはさすがに引かざるをえず、仕方なしに引き下がるがそれでもぶつぶつと文句を言っている。
「兄貴、泳げないんだよねぇ♪」
「ほう、じゃあ川に落とせば勝ちなんだな」
「ほっほぉぉう……今すぐ死にたいらしいなぁ?」
 クトファーがムサシの首に腕を廻しながら笑顔を向ける。もちろん目は笑ってない。
「冗談だって」
 額に汗を浮かべつつ、手をぱたぱた振ってごまかす。
「ったく……ん?あの部屋、電気ついてないか?」
「本当だ、俺達みたいに勘違いしてきたのかな?」
「言っとくが、俺は勘違いじゃねぇぞ。お前に言われて仕方なく来たんだからな」
「はいはい」
 クトファーを適当にあしらって電気がついている部屋の前に来る。
「これ、理科室だよね?」
「ああ」
 授業が行われていないのに、理科実験室が使用されるはずが無い。
「だれが使ってるんだ?」
「さぁ、先生じゃねぇの?」
 興味が無いのか、それともまだ怒っているのかクトファーはそっけなく答える。
「あけてみればわかるよ」
 言うが早いか、ステフは理科実験室のドアを開けた。

「ねぇラスファー」
「嫌です」
 読んできる本から目を背けずに即答するラスファー。
「何よ、まだ何も言ってないじゃない!」
「言わなくてもわかります」
 そっけなく答え、読書に集中――させてくれる先輩ではなかった。
「ほら、飲んで♪」
「いやですよぉ」
 右手にもった試験管には、紫色の液体が、怪しげな煙を噴出している。
「っていうか、飲んだら死にますよ!」
「飲んでもいないのに、そういうこと言うのは偏見って言うのよ」
「それ以前の問題です!」
 ラスファーを隅に追い込み、怪しげな笑いを洩らしながらアピアが近づく。
「さぁ、問答無用で飲んでもらうわよ……」
「あぅうぅぅ……」
がら
 危機一髪のところで入り口のドアが開く。
 舌打ちしてアピアは顔だけ入り口に向ける。
 助かった、と思うのもつかの間、入り口にいた少女は真っ赤な顔をして、すぐさまドアを閉める。
「……なんか勘違いされたみたいね……」
「冷静に言わないでくださいよぉ……変な誤解がたったら、ここの使用が禁止になりますよぉ!」
「仕方ない、つれてきなさい」
 アピアの命令に泣きながら、それでも変な薬を飲まされなくて多少ほっとしながら教室から出て行くラスファーであった。

「わかった?もう誤解してない?」
 アピアの説明にコクコク頷くステフ。その顔はまだどことなしに火照っている。
「まぁ、いいじゃねぇか。別に誰にもいわねぇからよ」
「そこ、勘違いされるようなことを言わない!」
 アピアに指差しで注意をされ、苦笑交じりに言葉を止めるクトファー。
――いつまで続くんだろう(−−;
 ラスファーはこのやりとりに半ばうんざりしながらそんなことを考えていた。
 お互い簡単な自己紹介をすましたあと、勘違いしているステフに説明をする。ただそれだけのことに費やした時間は30分。しかもちゃんと理解している風には見えない。
「それより……ひどくなってきましたね、外」
 話が切れたタイミングを見計らってラスファーが割ってはいる。
 先ほどまではただの大雨だったが、今は横殴りになっている。この分だとまだひどくなりそうだ。
「みたいね、これ以上ひどくなる前に帰ったほうがいいんじゃないかしら?」
 アピアの言葉に驚愕の色を浮かべるラスファー。
「ん、どうしたの?ラスファー」
「い……いえ」
 額に汗を浮かべつつ、慌てて両手を振る。怪しいを通り越してむしろ滑稽ですらある。
「まぁいいわ。どうせ私がまともなことを言ったとかで驚いてるんでしょ」
「な……!」
 言いかけて慌てて口を押さえる。
「ふっふ〜〜〜ん……本当に思ってたんだぁ……」
「い、痛いです!やめてくださいいぃぃ」
 脇にはさまれ頭をぐりぐりこすられ、泣きながら謝っている。むろん、そんなことで手を緩める人ではないとしりつつも。
「あっついねぇ」
「うるさい!」
 ムサシへ突っ込みを入れ、とりあえずラスファーを離す。
「とりあえず、私は帰るけど、あんた達はどうするの?」
「僕も帰りますよ」
「俺達も帰るよ。どうせ授業もないんだし」
 意見がまとまりかけたとき、入り口のドアが開く。
「なんだ、まだ人がいたのかい」
 警備員が、驚きの声とともに中を覗く。
「ええ、今から帰ろうと思っていたところです」
 立ち上がり、説明するラスファー。
「それは止めといたほうがいいな」
「え?」
 全員の声がはもる。
「となりの川が氾濫しよってな、とてもじゃないが表にはでられん。俺も一階から追い出されたようなもんだし」
「そんなにひどいんですか?」
「まぁ、雨がやめば水も引くだろうから、それまで待っておくといいよ」
 そういうと、警備の人は他の部屋へと見回りに行ってしまった。
「どうする?」
「どうするもこうするも、待つしかねーだろ」
 立ち上がり、適当な場所に上着を置きながらクトファーが続ける。
「それに、おれはこれ以上濡れるのはまっぴらごめんだしな」
「そんなレベルじゃない見たいだけどね」
 窓の外を見ていたアピアが言葉をはさむ。
「……なにこれ……」
 窓に近寄り外をみたステフが、声にならない声を洩らす。
 水は、すぐそこまできていた。
 二階までは届いていないが、ここに水が入ってくるのも時間の問題だろう。
「逃げたほうがよくないか?」
 ムサシまでもが冷や汗を垂らしつつ呟く。
「たぶん大丈夫だとおもう……け……?」
「ん、どうした?」
 途中で言葉を止めるアピアに近寄るムサシ。そして彼も絶句する。
 ふたり仲良く凍りつき、前方を見つめている。
「どうしまし……だああああ!」
 どがっしゃああああ!
 ラスファーが外を覗くのと同時に、部屋の一部が砕け散った。
 大量の水と共に入ってきたのは、一隻のボート。それは部屋を突き抜けて、廊下の壁に突き刺さり、やっと止まる。
「……あれ……まさか……」
 呆然と見ていたムサシが、ボートに書かれた黒猫の落書き――にしか見えない――を眺め呟く。
「あいつしかいないだろ……」
 クトファーも疲れたように呟く。
 ステフにいたっては言葉すら出せない。
 ボートのドアががちゃがちゃとなる。どうやら変形してしまってうまくあかないようだ。
 数度鳴った後、静かになり――
 ばかぁぁぁん!
 勢いよくドアを蹴り開け、美少女が飛び出してくる。
「ステフさまああぁぁぁぁ」
 黒髪の美少女は、ステフを確認するとボートから飛び降り、抱きつく。
 いまだ硬直しているステフはなすがままだ。
「か……カッツェ……」
 彼女の名前を呼んだのは、アピアだった。
「あら、アピアさん。どうしてここに?」
「それ、あたし達の台詞だと思うんだけど……」
「私ですか?きまってるじゃないですか」
 ステフの首へと両手を回し、自分の胸へと当てながら。
「ステフ様がいるところに私がいないほうが不自然なんですの」
「いや……微妙に……っていうか、まるっきり変だと思うんですけど……」
 ラスファーの突込みを完全に無視してカッツェが話す。
「みなさん、ここで何をしていたんですの?」
「えっと……雨宿り……」
「私も混ぜてください♪」
 ムサシの答えなぞどうでもいいのか、あくまでマイペースな彼女。
「どっちかというと、そのボートで俺達を送ってくれたほうがうれしいんだが……」
「それは無理です」
クトファーの言葉に即答するカッツェ。
「だって、壊れて動かないんですもの」
「い……意味無いじゃないですか……」
 ラスファーがその場に膝をつき――足首まで水に浸かっているのも気にせず――言葉を吐き出した。
「なんのためにきたんですか……」
「ステフ様に会うため」
 ここまできっぱり言われると返って気分がいい。
「……とりあえず、上に行こうぜ。これ以上濡れるのもごめんだし。おい、いつまで固まってるんだステフ!」
「ステフ様を呼び捨てにしないでください!」
「おごおおぉぉ」
 右フックを綺麗に決められ、水の中に転げ落ちるクトファー。同時に、手を離されたステフも水の中に倒れこむ。
「うぶわぁ!」
「あああ、大丈夫ですか、ステフ様ぁ!」
 がくがくステフをゆさぶりながら叫ぶカッツェ。
「なぁ……」
「みなまで言わないで……」
 混乱の様を呈してきた実験室に、アピアとムサシの疲れた声がこだまする。
「そうか……」
 言われたムサシは、いつのまにか巻き添えを食って気を失っているラスファーに心の中で合掌を送るばかりであった。
 余談だが、窪地にあった学園以外は、ほとんど被害はなかったという。

第二話へ/第四話へ/戻る