第四話:天使の憂鬱

 まるでドラマに出てくるような、それ以上に広く、豪華で、おしゃれな部屋。
 全体的に淡いピンクを基調としているが、いやみが無い程度に押さえられている。
 王宮のお姫様が住んでいるかのように無駄に広く、中央に置かれているベッドはそれ以上に無駄に大きい。
 ベッドの中央に少女が一人で――そう、もったいなくもその広さを一人で座っていた。
 ドレス裾がふわりと広がり、花弁が開いた中にいる妖精を思わせる。
 妖精の髪は黒く、物理法則を無視しているかのようにふわりとやさしく広がっている。
 見るもの全てを酔わせる美しき妖精の表情は、しかし暗く沈んだものだった。
 彼女の体より大きいと思われる枕を――抱き枕ではなく、普通の枕である。信じがたいが――ぎゅっと抱きしめ、膝の上に置かれた写真を切なそうに眺めている。
 大きくため息をついて、蕾のような唇をゆっくりと開く。
「儚いものですね……」
 ぽたりと写真に雫が零れ落ちる。少女が流した涙だと容易に知れた。
「あなたに会えなくてどれほどの刻が過ぎ去ったか……」
 弱弱しく呟く。最後のほうはかすれて聞き取れないほど小声になっている。
「でも……」
 少しだけ力を取り戻した口調で、
「明日に……明日になれば、あなた様の御姿を見ることができるのですね……」
 涙が溢れんばかりに零れ落ちてくる。
 しかし彼女はそれを拭こうとはせず、さらに口調を強める。
「この週末……いかほど切なく狂おしい刻を過ごしたことか……」
 枕にこめる力をさらに強めながら彼女は呟いた。
「ステフ様……はやくお会いしとうございます……」
 少女――つまりはカッツェは本日幾度目かもはやわからないが、同じ事をずっと繰り返していた。
 そしてそれは、朝まで続いた。

 「そんな……」
 カッツェは一歩後ずさり、体を震わせる。顔色は紙のように白く、足取りもおぼつかない。
今にも倒れそうだ。実際、後ろに壁が無ければ倒れていただろうが。
「嘘と……嘘と仰ってください!」
 悲痛な面持ちで叫ぶ。
「いや……そうは言われても……」
 言われた人物は困った顔で頭を掻く。女性に泣かれたときにできる男の選択肢はあまり多くない。
 彼は一番オーソドックスだが確実な答え、困っていた。
「では、私の気持ちはどうなるのですか!?」
「それこそ俺に言われてもどうしようもないんだが……」
「では私に死ねと仰るのですね?」
「そこまでっ?」
 彼――クトファーが叫ぶ。普段の強気に性格はどこへいったのか完全になりを潜めている。
 いつも通っている土手沿いの通学路、ほとんどの学生が徒歩で通っているため今の時刻は学生で溢れ返っている。
 そんななかで泣きながら美少女に詰め寄られるというのもまあ悪い気はしないが、全身に刺さる殺気というかなんというか、痛い視線を考えると簡単に喜べない。
 カッツェ親衛隊の視線はとりあえず放っておくとしても、眼前の少女の涙だけはどうにかしなければならない。
「とにかく、あいつは風邪引いて休みなんだよ!俺だって本当は休んで看病してあげたかったんだが……っと」
 言い過ぎた自分に気づき、慌てて口篭もる。
「だ、だから今日のところはおとなしく、な?」
「そうはいきません」
「は?」
「ステフ様がお風邪を召したというのに、私がのうのうと授業を受けるわけにはいきません」
 むんずとクトファーの襟首を掴むと、こんなに細い腕のどこにという力で引きずっていく。
「ぐえ、ば、ばなぜ……」
「さあ、早くステフ様の家に連れて行ってくださいませ!」
「わがった、わがったがとりあえず離してくれ……」
 強引に引き剥がし、ぜえはあと呼吸を整える。
「いいか、地図を描くからそこにいってぐおおおおお」
 両手で首を締められ悲鳴を漏らす。
「つ・れ・て・い・って・く・だ・さ・い!」
「まあまあ」
 青くなって痙攣するまで待っていたのだろうか、クトファーの横でずっと成り行きを見守っていた黒髪の少年が仲裁に入る。
「彼は皆勤賞を狙っているそうだから、おいらが案内してあげるよ」
「本当ですか、ムサシ様?」
「ああ、俺も多少は気になっていたからね」
 もはや用の無くなったクトファーを地面に捨て、ムサシに近寄ってくる。
「あ、ああ」
 痙攣しているクトファーが気にはなったがそれを口にして自らの命を危険にさらすわけにはいかない。とりあえず彼には可哀想だが無視することに決めた。
「さ、さあ行こうか」
 カッツェを連れて歩きだし、親衛隊になにやら落書きされているクトファーに心で合掌しつつムサシ達は急いでその場を後にした。

「あー……しんどい暇だああ……」
 布団をかぶりなおし、呟く。
咥えていた体温計を取り、見てみる。37.5度。動けないほどではないが、さりとて動き回れるほどでもない。
 そんな微妙な状態が今日で3日目。折角の土日も家で寝てばかりだった。
 それでも昨日までは兄がついていてくれたので暇ではなかった。多少邪魔ではあったが。
 なんとはなしに部屋を見回す。どこか少年の部屋を彷彿とさせるそれは、特にいつもと変わらない。変わるはずが無い。
 わかりきっていることなのだが、それでもボーっと天井を見ているよりは幾分ましなのでいろいろなものに視線を移す。
 時計、トロフィー、カレンダー、椅子、カッツェ、つくえ……
「…………!?」
 視線を戻す。たしかにそこにはカッツェがいた。
 胸の辺りで両手を組み、涙をながしながらこちらを見つめている。
 ゆっくりとドアに視線を移す。開いた形跡も無い。
「愛に不可能はございません!」
「いきなりっ!?」
 質問さえしていないのに答えられ、思わず身を起こす。
 慌ててカッツェが駆け寄る。尋常ではない速度で。
「ステフ様の危篤は危険ですので横になってくださいませ!」
「うどわわわ!」
 常識では考えられない力で押さえつけられる。
 いろいろ突っ込みたいところはあるが――突っ込む必要が無いところのほうが皆無だが――、とりあえず一番気になることを聞いてみる。
「学校は?」
「ステフ様のいない学校など、なきにしもあらずと言う結論に達したと言うわけでムサシ様をお連れして破壊したわけです!」
「破壊っ!?っていうかムサシ!?」
 とりあえずカッツェの手を払い――悲しそうな顔をしていたがとりあえず置いておく――窓から外を覗く。
 確かにムサシだ。電柱のそばで何をするでもなくぼけーっと立っている。
「風邪ひいたらどうするんだよ……っったく!」
 自分の事は棚に上げ半纏を羽織る。
 みるみるうちにカッツェの顔が青くなる。
「いけません、こんなときに寒中水泳など!」
「するかあ!、死ぬわあああ!!」
 叫んで、意識が一瞬暗くなる。立ちくらみをしてしまったようだ。
「ああああ、だから言ったですのに!」
「……もうなんでもよくなってきた」
 カッツェに支えられながら、立ち上がる。
「とりあえず、ムサシを呼んで来るから待っててくれ」
「わかりましたわ」
 意外に素直に答えてくる。
「あ、じゃ、じゃあ頼んだよ」
 何を頼んだのか自分でもわからないが、とりあえず部屋をでて階段を下りる。
 玄関のドアを開けると涼しい風が入ってきて、心地よかった。
「ムサシ、風邪ひくぞ」
「ん、おお……大丈夫か?」
「いや……急にひどくなった気分だ」
「そうか……」
 理由は聞かないでおく。聞く必要も無い。
 ムサシを連れて二階にあがり、最初のドアに手をかけ開く――
 直後にドアを閉める。瞳を大きく開き、額には汗が滲んでいる。
「どうした?」
「い……いや、なんでもない……」
 裏返った声で言うステフ。だくだくと汗が流れている。
 もう一度、今度はゆっくりとドアを開き、中を覗く。
 やさしく光を通すカーテン、フリル付のベッドに枕。机の上には所狭しとぬいぐるみが置かれている。
 挙句の果てには部屋の色まで塗り替えられている。
 そのなかで、部屋のオブジェの一部と化していた少女――カッツェがくるりと振り向く。
「おかえりなさいませ、ステフ様!」
「なにがいったいどうなったんだ!!」
 叫び、勢いよくドアを開ける。
「これがステフの部屋か……」
 さすがに冷や汗を垂らしつつムサシが言ってくる。
「なんていうか……ステフも女の子だったんだな……」
 呆然とつぶやき、眺める。中に入るのがためらわれる、いるだけで恥かしくなりそうな部屋。
 何度か来た事があったが、そのときはもっと少年っぽい感じだったはずだ。
 ムサシの声を無視して、ずかずかと――自分の部屋だから当然だが――遠慮も無く入る。
「いったい何をした、っていうかどこに時間があった?」
 がくがくとカッツェを揺する。熱がひどくなったのか頭が重い。
 カッツェはそんなこと言われるとは思わなかったのか、目を見開き愕然とつぶやく。
「そ……そんな……。ステフ様のイメージにぴったりの部屋を作っただけですのに……」
「これのどこがオレのイメージだ!」
「まぁ、女の子らしいっちゃあそうかもしれんが……」
「そこ、同意しない!」
 びしっとムサシを指差し黙らせ、カッツェに向き直る。
「いいか、すぐに元に戻してくれ。今すぐにだ」
「そんな……」
 立ち上がり、よろけて数歩後ろに下がるカッツェ。
「ここまで大掛かりに改装したら1日では戻せませんわ……」
「だあああああああ!」
 両手で頭を抱えうめく。
「うーん……」
 腕組してなにやら難しい顔で二人を見ていたムサシがつぶやく。
「結局、なにがどうなってるの?」
「オレが聞きたい!」
「ステフ様の部屋を模様替えしたのでございます」
「改装って言うんだ!これはっ!……もういい……寝る……」
 よろよろと布団に入り込み、目を閉じる。
 と、下から足音が近づいてくる。
(あーもうなんでもいいや……)
 もうどうでもよさげに一人ごちる。
 ムサシも気づいたのだろう、横を向いて口を開き。
 足音の主に蹴り飛ばされていく。
「だああ、追いついたぞ!」
「お兄様!」
「だれがお兄様だ!」
(この声……兄貴か?)
 ゆっくり目を開けると、やっぱりクトファーがいた。
「兄貴、どうして?」
「ああ、ステフか」
 喜色を浮かべ部屋に入ってくる。
「アレイクに事情を話したら快く協力してくれてな」
 カッツェの名を使ったことは伏せておく。なぜと言われたら返事に窮するが。
「それにしても……この部屋はなんだ?」
「カッツェにやられた……」
 涙ながらの訴えは、クトファーの表情を変えるだけしか効果が無かった。
「そ……そうか……」
 怯えの色でカッツェを眺め、弱弱しく言う。
「帰りには元に戻してくれよ」
「わかりましたわ、お兄様」
「さっき一日かかるって……」
「そんなことより!」
 ステフの声を遮ってカッツェが叫ぶ。
「…………」
 沈黙が訪れる。部屋の外でムサシがうめきながら身を起こす音だけ聞こえる。
「あの……」
 クトファーがおどおどと手を上げる。
「なんですの?」
「いや、続きは?」
 口元に指を当て、虚空を見上げる。しばし考えて、ぽんっと手を打つ。
 そしてまたまた沈黙が訪れる。
 たっぷり秒針が一周するのをみて、クトファーが疲れた声を出す。
「なにも考えてないんだな?」
 こくりとうなずくカッツェ。
 大きく、カッツェに聞こえようがかまわず嘆息する。
「もういい……みんな帰って……」
「ひどいですわ、ステフ様!」
「なにがだっ!」
 ステフとカッツェのやり取りをみつつ、横にいるクトファーの力なくつぶやく。
「なぁ……ステフにはかわいそうだけど、学校行こうぜ……」
「ああ……そだな……」
 なにやら手を伸ばしつつ悲鳴をあげているステフを置いて、二人は部屋を後にした。
 その夜、ステフは高熱をだしたりしたのだが、それ以外は概ね平和だった。

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