2.月の微笑み

 日付が変わり、サイアド世界の『夜』が訪れた頃。
 膨大な情報を徹夜で見ていたお陰で、かなりへばっていたクリスは、片手にブランデー入りの紅茶を飲みながらも、まだ水晶玉をいじくっていた。
 この水晶玉は、クラリシアのいわゆるデーターベースとでもいうべきもので、目標の検索の他にも、アイテムや魔法の使い方や、効力。それに私的な日記などといった物が入っていた。
 クリスの脳裏には、クワトロアンカーの地理データーが浮かんでいた。
 クワトロアンカーは、船の集合体と言われているが、厳密に言えばそうではない。
 人々の暮らす地上部分はやはり船で出来ていたが、その底部は海底から伸びる平べったいテーブルの形をしており、テーブルの上に、数々の船が乗っかっている状態であった。
 テーブルの足は一本で、その足の中は、海底都市ポセイドンに繋がるエレベーターになっている。
 クリスが今調べているのは、そのエレベーター付近である。
 ポセイドンの監査機構は厳しく、クリスのようなハッカーには近づくことは出来ない。
 いたずらに突破を試みれば、煩わしいカロンに追われるだけである。
 だが、いったんエレベーターに乗ってしまえば、降り口のポセイドンのチェックは甘いので、いくらでもかわすことが出来る。
 幸い、テーブルの上に乗った船が多くなったことで延長されたエレベーターの部分には、何個かの点検用の穴があり、そこから侵入することも不可能ではなかった。
 データーベースには、昔クラリシアが侵入したときの侵入経路が残っており、不可能では無いことが分かっている。だが、廃墟と化した船の中は、数々のモンスターがうろつく迷宮と化しており、そこに行き着くまでの苦労は並大抵の物ではなさそうだ。
 何故困難を乗り越えてポセイドンに行くのか・・・・それは検索の結果であった。
 膨大な情報の果てに、クリスが見たのはフェイがポセイドンに居るという情報だったのだ。
 一通り確認と作戦を練ると、クリスは武器を手に取り、夜のクワトロアンカーへと向かっていった。

 そこは、およそサイアド内の不健康な代物をかき集めたような場所だった。酒場「イービルキッス」。ハッカーたちが集まる、その非合法な店には、薬をきめていっちゃってる男女や、目つきの鋭い人がゆっくりと紫煙を吐き出していた。
 低い天井には扇風機がゆっくりと旋回していたが、煙たく暑い酒場の空気を虚しくかき回しているだけだった。
「ひゅー☆お嬢ちゃん俺と一発やらなーい?昇天させてやるぜー?」
 テーブルに腰かけて酒を飲んでいた冒険者が、嫌らしい目つきと身振りで、クリスに向かって下卑た笑いを挙げた。
「あんたの可愛い(表記不可能)で、どうやっていかせてくれるの?」
 中指立てながらクリスが応じると、周囲のやつらが一斉に哄笑する。
 それを後にしながらカウンターに着くと、クリスはゆっくりと酒場を見渡した。
「注文は?」
「ウォッカと、おつまみを・・・・あ、それとイキの良い冒険者を4、5人」
 何気ない口調で強面のマスターに注文をする。
「・・・ヤバイ仕事か?」
「ええそうよ」
 あっさり首肯すると、クリスは琥珀色の液体をぐびりと飲んだ。
「内容を聞こうか」
 沈黙するマスターの合図を受けて、隣に座った男が横から割り込んできた。
 黒い髪を短く切り、黒一色の服装をした男は、右目の獣に引っかかれたような傷以外、特に特徴のある男ではなかったが、かなり荒んだ目をしている。
 男がマスターに手を振ると、マスターは奥に消えていった。
「・・・・ポセイドンに侵入したいの」
 それを確認して、クリスは本題を言った。
 男は黙ってクリスを見ると、傍らのグラスをぐびりとやって
「・・・・本気か?」
 とつぶやいた。
「ええ。クワトロアンカーからポセイドンに侵入する難しさは、説明するまでもないでしょ。当然、策は立ててあるわ。わたしがあんた達に教えるのはそこまで、どう?成功報酬5万で」
「・・・・いいだろう。明日、4、5人腕の立つ奴を集めておこう。夜の8時にまたこい。その時間ならここは混んでないからな」
「OK・・・・貴方、名前は?」
 いつもより少々気取った声で訪ねると、相手はグラスの液体を見ながらつぶやいた。
「OZと呼べ」
 クリスは肩をひょいとすくめると、やはりグラスを見つめながら頷いた。
「おーけー、OZ。よろしくねー」

 酒場を出て、少々火照った頬を夜風に当てていた。
 夜空に浮かぶ月は、静かな波音と一緒に柔らかな光を投げかけ、高ぶる気持ちを優しく愛撫する。
 建物の隙間から黒い、うねった平面が見える。
あの下のどこかに、フェイは居る・・・・
 口の中で小さくつぶやくと、クリスは月を背にして歩き出した。

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