『クワトロアンカー』は艦上都市である。
 初心者の中には、よく海上都市と間違える者もいるが、実際そこにあるのは、どれほど巨大であっても浮島ではなく、あくまで船なのだ。
 大小400隻以上の船が常時駐在しているこの街の中でも、町の中核を成す4隻の超大型艦。そのうちの一つであり、とくに娯楽や商店が集中していて、常に旅人達でにぎわう『レイテ』に、アールセキンは滞在していた。
 アールセキンは酒場を出ると、裏路地を抜け、道の両脇をさまざまな露店が飾る『レイテ』のメインストリートを歩くことにした。
 なにをするでもなくぶらぶらと歩いていると、さまざまなものが目に入ってくる。
 名物の『ポセイドン饅頭』はもちろんこと、お土産の工芸品や、装飾品の類、武器に防具に魔法道具、はては本物か偽物か判別のつかない妖しげな魔法圧縮ファイルまで、ありとあらゆる物が並んでいる。
 当然、そこにいる人達だって様々だ。人目で、戦士や魔法使いとわかる人間もいれば、明らかに料理人にしか見えないような男や、忍装束と艶やかな着物姿の若い男女、はては全身黒尽くめのスーツ姿の男までいる。と、これはアールセキンのこと。
「妙……ですねえ」
 雑踏の中でアールセキンはポツリと呟いた。
 街全体から、違和感が溢れている。一見、いつもと変わらないこの町並みのどこかが微妙におかしい。
 それが一体、具体的にどこなのか、と問われれば、その感覚を言葉で表現する事ができないアールセキンはただ沈黙を守るしかないわけだが。
 できる限り、周りに悟られないようにこっそりと、街や人の様子を観察する。
 不審なところは、多分ない。普段と変わらぬいたって普通の町並みだ。
(変わったのは、街ではない。なら、人の方だ)
 アールセキンはアドベンチャラーに的を絞り、さらに注意深く観察をするために、道端にある古ぼけたベンチに腰を下ろした。
 自分の直感に間違いはない。その確信のもとにアールセキンはじっと街行く人々を見つめつづける。
 そうやって、観察を続けているアールセキンに一つのものが目に入った。
 自分の真向かいの露天で立ち止まった一人の男、その腰に下げられている一振りの剣。
 魔剣『コンフュージョナー』。
 たしか、数年前に大増殖した、超有名な道具アプリケーションだ。
 C-アトランティスにある大規模なハッカー組織が開発した違法アプリで、起動させると半径10m以内に存在するあらゆるジェムが使用不可能に陥る。その効果からコンフュージョナー、『混乱させる者』の名を持ち、ハッカーになる事を辞さないアウトローな戦士系冒険者達の間で大流行した。
 だが、あまりにも増えすぎたために開発者側で、規制が行われ、そのほとんどは回収されたはずだ。
(あのようなレアアイテムを持っているということは、それなりのハッカーなのでしょうね。時間があれば、声も一つもかけてみたいところなんですが)
 ハッカー同士と言うのは、いきなり襲いかかられたというような、ひどく敵対的な状況での遭遇以外なら、むしろ横の繋がりとでも言うべき連帯感を感じる者の方が多い。
 なにしろ、アドベンチャラーキラー以外のほとんどのハッカーをハッカーたらしめる要因である違法アプリというものが、自分で開発する以外には他のハッカーから買い受けるしかないのだ。当然、他のハッカーと接触する機会が生じる。
 その結果、組織とまではいかないものの、同職ギルドに近い互助組合のような物がいたる所で生まれるわけだ。
 アールセキンはその手の組織には属していないので、仲間は自分で見つけ出す必要がある。本来ならば、今回のように明らかにハッカーと目されるアドベンチャラーに出会ったなら、すぐさま声をかけたいところなのだが、今のアールセキンはそれ以上にこの街の異変が気になった。
 アールセキンはやや残念そうな表情で、視線を他に移した。
 もう一度、人波に神経を集中しようとするが、どうしても先ほどの冒険者の事が頭から離れない。
 気づけば、つい人波の中からハッカーらしき人物を探そうとしてしまう。見ただけでハッカーとわかるようなアドベンチャラーは違法の道具アプリをぶら下げているか、明らかな外見データの改竄を行っているかぐらいで、そう簡単に見つかるものではない。
(って、あれ?なんで、こんなに簡単に見つかるんですか?)
 だが、なぜか人ごみの中に呆れるほどのハッカーが混じっているのだ。
 その数は、明らかに異常だ。
(なるほど、違和感の正体はこれでしたか)
 人ごみとはいえ、自分の視界内だけでも10人以上のハッカーがいる。
しかも、それはここだけの話ではないらしい。この道全体、いやもしかしたらこの船全体のハッカーの密度が高まっているようだ。
 いったい、何を?
 アールセキンの胸にひとつの疑問が浮かんだ。
 これだけのハッカーが集まっているのだ、偶然ではあるまい。では、なぜこれだけの数のハッカーが一ヶ所に集まっているのか、問題になるのはそこにある。
「気になるかい?」
 最初、アールセキンはその台詞が自分に向けられたものだとは思わなかった。
「この状況の原因の話だよ。見ろよ、この異常なハッカーの数。お前も気づいてるんだろ?なあ、瞬殺王?」
「おや、情報屋さんですね。お久しぶりです、今度はこっちで仕事を?」
 アールセキンは、視線は前に向けたままで、隣に座った男に声をかけた。
 男は長年着こんだと思われる、紺のベストとスラックス着こんでいる。目深にかぶった帽子のつばに数枚の勝ち馬投票券をはさんだ姿は、まさにイギリスのブックメーカーだ。
 通称、情報屋。
 様々な裏情報に精通しており、それを武器にしてこれと言った特殊能力なしに裏の世界に生きているつわものはアールセキンがしているのと同じように、前を見たままで視線を合わせず話を続けた。
「ああ、ここに大量のハッカーが集まるってのは、前々からの噂でな。本当なら、仕事のタネも増えるだろ?まあ、冗談半分のつもりだったんだが……」
「この様子だと、ガゼではなかったようですね」
「つうわけで、情報提供料」
 何気ない様子でひょいっとアールセキンの前に手を差し出す。
「すいません。いま、キャッシュがほとんどないんですよね」
「いくら、瞬殺王でもただで情報売るわけにはいかないな。なら、何か面白い情報はないか?物によってはチャラにしてやるよ」
「そうですねえ〜。C-レムリアにあった『大陸魔道鉄道』、あれがついに壊れましたよ」
「おい、そりゃあ凄い情報じゃねえか。一体、どこで仕入れたんだよ」
 今までありとあらゆる冒険者を蹴散らした謎のモンスター『大陸魔道鉄道』。それが倒されたとなれば、十二分においしいネタだ。
 情報屋はかなり興奮した様子でアールセキンに詰め寄った。
「いや、私がやったんです」
「ぶっ!!!!」
 あっさりと放たれたアールセキンの台詞の洒落にならなさに、情報屋が思いっきり吹きだした。数秒の静止の後、呆れたような笑い声とともに顔を上げる。
「ははっ、これでまたひとつ、瞬殺王の伝説が増えるな」
「別に必要ないんですけどね」
 そっけない口調でアールセキンが答える。
「とりあえず、そんだけ聞けりゃ十分だ。細かいディティ−ルは今度酒の肴にでもしながら聞いた方が面白そうだしな」
 片手をついてベンチから立ち上がると、情報屋は手をひらひらと振りながら、ゆっくり人ごみの中へ紛れていった。
「とりあえず。身近な人材をとっ捕まえて聞き出しますか」
アールセキンは独り言を呟きながら立ち上がり、一人のハッカーを補足した。
 テンポのよいリズムではねるようにして、大きめのポニーテールを左右に弾ませながら歩いている18歳程度の女の子。
 だが、その可愛らしい外見とは裏腹にその耳元にはハッカー内でも有名なイヤリング状のなかなかシャレにならない違法アプリが付けられている。
『零神―レイジン』と呼ばれるそれは、武器と言うよりもむしろ兵器だった。
 超強力なレーザーを放ち、クリ−チャ−、アドベンチャラーは愚か、家や地面などのフィールドデータさえ一瞬にして消し去ってしまう。レーザーの出力を最大にまで引き上げれば、多分攻城戦さえもが可能だろう。
 だが、どんなに威力の高い攻撃も当たらなければ意味がない。
 雰囲気や、立ち振る舞いから推測するに、実力は中の下程度。多分、アールセキンなら片手でも勝てるレベルだ。
 数mほど距離を空け、相手に悟られぬように堂々と尾行を開始する。元々、人ごみの中なうえアールセキンの態度があまりにも堂々としているので、相手はアールセキンの存在には 気づいても尾行しているなどとは露ほどにも思わないようだ。
 アールセキンはすっと横に並ぶと、何気ない口調でその少女に声をかけた。
「あの、ちょっとよろしいですか?」
「ナンパなら、お断りですよ」
 その少女はきっときつい視線でアールセキンを睨みつける。だが、アールセキンはそんな視線などもろともせず、にこっと笑みを返した。
「まあ、そう言わずに」
「しつこいですね」
「時間は取らせませんから」
 とっとと歩き去ろうとする彼女の歩調に合わせて、アールセキンはさらに追いすがる。まるで、性質の悪いキャッチセールスのようだ。
「いい加減にしないと怒りますよ」
「う〜ん、こんな可愛らしいお嬢さんが怒ったところで、たいして怖くないのですが」
 アールセキンが、やや苦笑しながら告げる。アールセキンは本来、外見や素性で他人を侮ったりはしない。これはあくまで挑発だ。
 すると、案の定彼女はアールセキンの挑発に乗ってきた。
「女だと思って甘く見ると、痛い目にあいますよ」
「お嬢さん、それがあなたにできますか?」
 駄目押しの一言。
 これで、堪忍袋の尾が切れたようだ。
「死んでも知りませんよ」
「望むところです」
 気づけば繁華街からは離れ、埠頭の辺りまでやってきていたようだ。あたり一面に潮の香りが漂い、二人の前には青と白が入り混じった海が広がっている。
 人通りも、すっかりなくなってしまった。ここでなら、戦いに他の人間を巻き込む事もないだろう。
 あたりを確認して、すっと彼女の方に視線を戻すと、少女は既にこちらの方に向けて両手を構えていた。
「行けえ、零神!!!」
 少女の両耳に下げられたイヤリングが真紅に輝き、突き出した掌の中に数条の閃光が生まれる。
 閃光は一直線にアールセキンの方へと向かう。
アールセキンが寸でのところでかわすと、閃光はそのまま背後の民家に直撃して凄まじい爆発を生んだ。異常なほどの破壊力だが、それでも出力は落としてある方だろう。全力で撃たれたら、家ひとつではすまない。
「あの、お名前教えていただけませんか?」
「戦闘中の油断は命取りですよ」
 そう言う彼女の手の中には既に次弾が装填されているようだ。
 視線を彼女の手の先に向けると、既に閃光がアールセキンの方へ向かってきているのがわかる。
 反射的に、その場で真上に2mほど跳躍して閃光をかわす。
 閃光が通りすぎるのを見計らったかのように、地面に着地。両足の屈脚によって、着地の衝撃を地面に逃がす。
「やるわね」
「まだまだ、序の口ですよ」
そう言って、アールセキンはほんの少しだけ速度をあげた。
 他の追随を許さぬほどの圧倒的な加速がアールセキンを包む。
 たんっ、と地面を蹴る音がしたかと思うと、アールセキンと少女との距離が一瞬で縮んだ。
 少女はアールセキンが目の前に近づいたと言う事実にさえ気づいていない。
「鈍いですね」
 その勢いを殺さずに、すばやく腹に膝蹴りを入れる。
 少女は顔を歪めると、体をくの字にまげて地面に倒れこんだ。
「弱いですね……。この程度でハッカー気取りですか?」
 アールセキンが苦しそうにもがく少女を見ながら、嘲るような口調で言った。
 口元には邪悪な笑みが浮かび、視線は常に少女を見下している。
「かはっ……い・いつから、ハッカーだと……」
「最初の最初、あなたの姿を見たときからです。これは忠告ですが、『零神』はハッカーの標準装備としては目立ちすぎますよ」
 と言って、アールセキンは苦笑の表情を浮かべる。少女が口惜しそうに歯軋りをするのが上からでもわかった。
「さあ、吐いてもらいましょう。この街で一体何が起ころうとしているんですか?」
「あなた、なにも知らずにここに……」
アールセキンは屈みこむと、少女の首筋に触れた。その手つきは手馴れた感じがして、なんだか薄ら寒い印象を与える。
「質問にだけ、答えてください」
 アールセキンはもう笑っていなかった。口元には笑みが浮かんでいるものの、目は完璧に怯える獲物を見つめる狩猟者のそれだ。
「わ・わかったわ……」
 少女は慌てて頷き、身を起こすと、地面にしゃがみこんだままおぼつかない口調で事情を説明し始めた。
 話をはぐらかしたり、嘘をついたりする余裕などほとんどない様子だ。
「これは『龍牙』の連中の計画なの」
「『龍牙』と言いますと、あのC-ポセイドンにおける大型ハッカー組織でしたっけ?」
「そうよ。あいつらが裏で動いてるわ」
「目的は?」
「『スケイルソード』。聞いたことぐらいはあるでしょ?奴らは、集めたハッカーを使ってあいつを倒し、得た数千枚の鱗を金に替えて軍資金にするつもりなの」
 アールセキンが次々に投げかけてくる質問に、少女は腹から響く激痛をこらえながらも、懸命に答える。
「で、傭兵感覚で組織の外からもメンバーを募っているわけですね」
「そ・そうよ」
「他にもそういう人間は?」
「たくさんいると思うわ」
 アールセキンは空いた手を顎に当て、考え事をはじめた。
(『龍牙』ともあろう組織が外部からも人間を雇うということは、よほど大掛かりな作戦にすると言う事でしょう。ですが、相手があのスケイルソードだとするならば、この広大な海のど真ん中に、一体どのようにしてそこまでそれだけの大人数を運ぶのか?おそらく超弩級大型船か、もしくはそれに変わるような何らかの方法を用いるつもりなのでしょう)
「こんな事聞いてどうするつもり?あなたは、この件とはなんの関係もないんでしょ?」
アールセキンはなにも言わずに、軽く苦笑した。
(飲んだくれの戯言と思ったら、『龍牙』が絡んでいたんですね。このままだと、あの男の言った通りになってしまうわけですか)
「癪に障りますね」
 アールセキンの独り言に少女がびくっと身をすくませる。彼女はその一言を、自分に向けられた物と勘違いしたらしい。
「あ、もう酷いことしませんから。」
 アールセキンはできるだけ温和な口調で、少女が安心するように声を掛ける。だが、返ってくるのは不審な視線だけだ。
「信用してませんね。大丈夫ですよ、あなたが邪魔さえしなければ本当になんにもしませんてば」
「邪魔?」
 邪魔のと言われてもなんの邪魔なのかよくわからず、少女は尋ね返してしまう。
「たった今、その計画を叩き潰す事に決めました。それの邪魔です」
「叩き潰すって、そんな気軽に?」
「いけませんか?」
 アールセキンは真顔で問い返す。
 こうきっぱりと言われてしまっては、返す言葉もない。
「さてと、質問の続きといきましょう。で、傭兵の方はどこに集まるんですか?」
「場所って言われても、今日『レイテ』内にいさえすればいいって話だから、細かくは決まってないんだよ」
「それって、ガゼなんじゃ……」
「失礼ね。ちゃんと裏は取ってあるわよ」
「だとしたら、妙な話ですね」
「確かに、あたしも思ったわ。普通こういうのって、もっと目立たない、港の廃倉庫みたいな場所でするはずなのに」
 少女が不思議そうに呟く。
 とその瞬間、足元がぐらりと揺れた。地面全体が大きく傾き始めたのだ。
 唐突な衝撃に少女がふらつく。慌ててバランスを取ろうとするが、まだ脇に残った痛みが抜けないせいか、足に力がはいらない。
 アールセキンは転びかけた少女をすばやく抱きあげた。
「えっ、なに?」
 いきなり横から抱きとめられて、顔を真っ赤にして慌てる少女と、気にせずに周囲の状況を冷静に観察するアールセキン。その視線は目の前に広がる凪いだ海へと向けられている。
「一体何なの、これ?津波でもきたわけ?」
「ほう、なるほどそういうわけですか」
アールセキンは腕の中にいる少女の質問など無視して、一人でふむふむと頷いている。
「ねえ、わかってるんなら教えてよ」
 少女が上目遣いで問いかける。
アールセキンは声に答えて、視線を少女の方へ向ける。
「この艦が動いています」
「でも、さっきまでは……」
「確証はありませんが、現在『レイテ』は他の3隻から切り離され、単体で全力疾走しているはずです」
 アールセキンはいつものように、とんでもない事実を平気な顔で口にした。
 少女は、にわかに信じがたいといった顔つきだ。
「誰が、そんな馬鹿な事……あっ、まさか!!!」
 アールセキンが頷く。
「そう、やっているのは『龍牙』の連中でしょう。彼らはこの艦を使って、『スケイルソード』に挑むつもりなんですよ」
「それで、集合場所が『レイテ』全体だったわけね。じゃあ、このまま『スケイルソード』のところまで行っちゃうって事?」
「いいえ、私が妨害します」
「妨害って……一体どうするつもりなの?」
「それは、見てからのお楽しみですよ」
 アールセキンはそう言って、余裕の笑みを向けた。

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