第1話「アールセキンと鱗の王」

 とある、宿屋の一室。
 薄ぼんやりとしたランプシェードの明かりに照らされて、アールセキンとマイナはベッドに横になっていた。
「マイナ様、そろそろおやすみなさいませ。でないと、明日の朝がつらくなりますよ」
「ねえねえ、なんかお話して」
 マイナはアールセキンのパジャマの袖の胸のあたりをぎゅっと握ると、ぐいぐいと引っ張って話をせがんだ。
 アールセキンは眉根を寄せて、困惑の表情を浮かべた後、仕方なさそうに口を開いた。
「そうですね……。では、私がマイナ様と出会う前、一人で旅ををしていたころの話をして差し上げましょう」
「どんな話?」
 アールセキンがそう言うと、マイナはきょとんとした顔で問いかける。
たが、アールセキンは答えない。見ると、どうやら何かを悩んでいるらしい。
「そうですねえ……。大陸魔道鉄道とやりあったときの話はすこし事情が込み入ってますし、かと言って、C-ヤマトの降龍事件は寝る前のお話にはちょっと長すぎますよねえ。それにあれは一般の方は知らない方がよさそうな事件ですし……。こうやって考えてみるとちょうどいい話と言うのは意外とないんですね」
「お話してくれないの?」
「ちょっと待ってください……。ああ、そうだ」
 アールセキンは何かひらめいたらしく、ぽんと掌を叩いた。
「大怪魚の話はどうですか?」
「だいかいぎょ?」
「ええ、この世のものとは思えないほど巨大な魚を大怪魚というのです」
「お魚さんなんだぁ」
「C-ポセイドンの近海に生息していた伝説の怪魚『スケイルソード』。刃のように美しい碧鱗と、そのあらゆる物を圧倒する巨大さで知られたこの世界最強のモンスターのひとつですよ」
 そう話すアールセキンの表情はどこか誇らしげだった。
「すごいの?」
「ええ、一度会って見るといいですよ。外見も美しさもさる事ながら、それ以上に彼の持つその独特で神聖な雰囲気は現実でもそうお目にかかれる物ではありません」
アールセキンはここでいったん言葉をきった。
かっての日々を思いを巡らし、アールセキンはかすかに目を細める。
「しかも、彼は人の言葉を解することができるんですよ。私が彼と共にいたのはほんの数日の間でしたが、それでも非常に有意義な時間であったように思います」
「モンスターなのに?」
 マイナはふと浮かんだ疑問を口にした。
「その辺の事は本題に入ってからの楽しみにしておきませんか?」
「うん!!」
 マイナはうれしそうに返事をすると、大きく頷いた。
「では、はじめましょう。雄大にして荘厳なわが友『スケイルソード』との邂逅の物語を」
アールセキンは微かな笑みを浮かべると、かって彼が体験した物語を話し始めた。

 昼の酒場に入る人種というのは、大体決まっているものだ。
 特に、この『クワトロアンカー』のような港町では、その傾向が顕著に表れる。
 うでっぷしの強い腕自慢の高いレベルの冒険者達がごろごろして、下手に初心者が入ればあっという間に絡まれ、喧嘩なり、引ったくりだのにあう事だろう。
 外見的にも戦士系の筋骨隆々とした男で溢れかえったこの酒場の喧騒の中、アールセキンの存在はひときわ異彩を放っていた。
 周りにいる男達が皆、思い思いの鎧や兜、甲冑などを身に着けているのに対し、彼はと言えばこれと言った防御効果などほとんどありそうにもない黒のスーツとスラックスに身を包んでいる。
 その上、彼自身の体格が比較的ほっそりとしていて、力があるようにはとても見えない。
だが、彼は誰にも邪魔される事なく、一人カウンターで酒を味わっていた。
 そう、彼の全身から放たれている異様なまでに威圧的なオーラが、周囲の男達をよせつけないのだ。周りの男達もそれなりに場数は踏んでいる。そのオーラが何を意味するか、わからないものはさすがにいなかった。ただし、たった一人の愚か者を除いて。
「なあ、兄ちゃん。上手い話があるんだよ」
 その男は気軽な調子でアールセキンに声をかけてきた。
 アールセキンは不機嫌そうに舌打ちをすると、横目でちらっとその男を眺める。一瞬の確認で、どうせ馬鹿な冒険者の一人だろうと思い、すぐさま興味を失って目の前のブランデーに口を付けた。
「おい、兄ちゃん、ちょっと話を聞いてくれよ。すげえ儲け話だぜ?」
「なんですか?」
 アールセキンは鬱とうしそうにそれだけ言うと、ブランデーを干して二杯目を頼む。
「へへ、聞いて腰抜かすなよ。なんと、あの伝説の『スケイルソード』をとっ捕まえるって話なんだぜ」
 男はおおいばりでそう言い放った。その顔つきは明らかにその後に来るであろう、驚嘆の声を期待している。
「あ、そうですか」
アールセキンはあっけなくそう言って、二杯目に手を掛ける。
 その顔にはもう、興味の欠片もない。
「おい、おまえ!!!『あ、そうですか』じゃねえだろ?『スケイルソード』だぞ。C-ポセイドン最強のモンスターだぞ。わかってんのか?」
「あなた程度にできるわけないじゃないですか」
 アールセキンは男の顔を見て、鼻で笑う。その視線には明らかな侮蔑の意思が込められていた。
「いいですか。『スケイルソード』と言えば、全長700mとも800mとも言われ、強大な生命力を持っており、そのうえ全身を包む鱗は並の魔法では傷ひとつつけることさえあたわない。その上、鱗の一枚一枚が刃のように鋭く、それを逆立て突き進めば小さな島など真っ二つにしてしまうほどの威力と言う化け物ですよ」
 アールセキンは酒が入っているためか、そんなわかりきった説明を男に向かってとつとつと語る。男はややアールセキンの勢いにおされ気味だ。
「それをあなたなんかが、倒せると言うんですか?」
「へ、それが倒せるんだよ」
 男は、なぜか知らないが、『スケイルソード』を捕まえる事に絶対的な自信があるようだ。アールセキンの口調にも引けを取らぬほどの勢いで、そう言いきった。
 だが、男のその自信ありげな態度を見ても、アールセキンはなお意思を変えようとはしなかった。
「馬鹿馬鹿しい。そこまで言うのなら、私も断言しましょう。あなたには絶対に不可能ですね」
「ま・まあな」
 男も自分の力量はさすがに理解しているらしく、しぶしぶながらアールセキンの言葉に同意した。
「オレ一人なら、無理かも知れねえがなあ。もし、もっと大人数で一斉に襲いかかれば、どうだ?たとえ、スケイルソードと言えども、100人単位で相手をすれば倒せるだろうがよぅ」
「なるほど。たしかに、多少は現実的な案ですね」
 アールセキンはグラスを置いた。
 アールセキンが興味を持ったのを見て取って、男はにやっと笑った。
「そこでだ。兄ちゃん、あんたもその設け話にのらねえかっていてるんだよ。どうだい、悪い話じゃねえだろ?」
「たしかに、悪い話ではない」
 アールセキンが笑った。口元を軽く吊り上げるだけの薄っぺらな笑みだ。
「ですが、モンスター一匹をよってたかって倒すなんて、ゲスな真似はお断りですねえ」
「なっ!?」
 アールセキンの言葉に男が絶句した。一体何を言われたのか、理解しきれていないらしくはじめは唖然とした顔をしていたが、次第にその顔が怒りに染まっていく。
「てめえ!!!!黙って聞いてりゃ、いい気になりやがって」
 アールセキンの嘲笑に、男が立ちあがって怒鳴った。怒声が酒場全体に響く。
 男は腹立たしげにアールセキンの襟元を掴むと、強引に引きずり上げた。
「勝てない喧嘩は売るものではありませんよ」
 アールセキンのその冷静さがさらに怒りをあおり、男が勢いに任せてアールセキンに殴りかかろうとした瞬間、男がいきなり倒れこんだ。
「ふう、迷惑な人だ。マスター、会計をお願いします」
「お客さん、店内で喧嘩は困りますよ。一体何したんですか?」
 眉をひそめながら、しかし、やや興味深げそう尋ねるマスターに、アールセキンは軽く苦笑しながら言った。
「さあ、天罰でも当たったんじゃないですか?」

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